2006年07月15日

毒キノコ

管理人は、いわゆる世間でいうところの帰国子女である。

帰国子女というと人は「まあ外国語ができて羨ましいわね」と単純に思うらしいが、じつは外国語が苦手な帰国子女というのもいる。「英語の苦手なアメリカ帰り」ほど悲惨なものはない。いまでこそ、英語を飯の種にしている管理人だが、じつは三十路をすぎるまでは英語が大の苦手だった。

多感な時期を海外で過ごした管理人が、あの生活から得たものは、語学力でも国際人としてのセンスでもなく、度胸と開き直りと立ち直りの早さだ。帰国子女の親はたいてい

「子どもなんて現地に行けば言葉なんてすぐ覚えるし、けっこうやってけるものなんですよ」

と割と軽く考えているが(うちの親はこの典型)、じっさい、いきなり言葉もわからない環境に放り込まれる子どもの立場としては

「んざけんなよ! そんな甘いもんじゃねぇんだよ!」

という気分である。ちなみに親の多くは外国の地でも日本と変わらぬ暮らしかたをしていく。日本企業の現地事務所で日本人に囲まれて働き、日本から送られてくる1日遅れの新聞を読み、日本語放送を見ながら、駐在日本人のコミュニティー内で人づき合いをしていく。それに比べて、現地校に放り込まれた子どものほうは、すぐに言葉を覚える、のではなく、覚えざるをえないのだ。生きていくためにはその場に順応していかざるを得ない。だから外国語もすぐに喋れるようになるし、外国人とのつきあいかたも自然と身につくようになる。

子どもというのはどこの国でも残酷なところがある。だから言葉もわからない片言の英語を笑ったりはやし立てたりするものだ。そういう経験を繰りかえすと人間度胸が据わってくる。

「ふん、じゃあ、てめえらは日本語が喋れるってぇのかよ! あいうえおって書けるもんなら書いてみろ!」

そう思った瞬間に外人が怖くなくなるのだ。身振り手振りだろうが言いたいことが伝わればいい。開き直ると人間、誰しも強くなるものだ。

辛い日々も、すぎてしまえば笑い話だ。夜明けの来ない夜などないのだと、子どもなりに体験し、多少落ち込むことがあっても割とすばやく立ち直ることができるようになる。周り中から「いま鳴いていたカラスがもう笑った」と呆れられるような管理人の立ち直りの早さは、あのころの経験からきたものだ。

これは外国に行った年齢や滞在期間によってちがうので、帰国子女が一概に皆そうだとは言えないのだが、多くの帰国子女が2度大きなカルチャーショックを受けることになる。

ひとつめは最初に外国に行った瞬間。見るもの聞くものがすべて珍しく、言葉も習慣も違う外国に着いたとき、人は多かれ少なかれカルチャーショックを受けるものだ。これはもちろん大人も同じなので、この体験は親と共有できるものだ。だが、2度目のカルチャーショックに関してはおそらく子どもだけが感じるものである。なぜなら、日本人としてのきちんとしたバックラウンドができあがった大人は、これを感じるはずがないからだ。

2度目のカルチャーショックは日本に帰ってきたときに起こる。外国ではずっと外人だった自分が、母国に帰ってきたはずなのにしっくりそのなかに溶けこめないのだ。

「おかしい。こんなはずはない。わたしは日本人なのに。あちらではずっと外人扱いされていたけれど、帰ってくればもう外人じゃなくなるはずだったのに……」

でも自分は外人なのだ。日本人の親から日本で生まれ、日本語を話している自分が、完全に日本という国に溶けこめないというカルチャーショックは第一のそれよりもずっと大きい。小難しい心理学用語で言えばアイデンティティーの崩壊ということになるのだろうが、ここでもまた帰国子女は、異なる社会に溶けこめるよう孤軍奮闘せずにはいられなくなる。

正直それがどういうものであるか、言葉で説明するのは難しい。ありていに言えば日本人であるにもかかわらず、あ、うんの呼吸に疑問を呈してしまう妙な日本人とでもいうのだろうか、ふつうの日本人なら不思議とは思わないことに「なんで?」と質問したくなる。帰国して早数十年が経ち、菊のご紋が入った真っ赤なパスポート(いまは紺になったんだっけ?)を持つ管理人だが、じつはそのうちの数パーセントがいまでも外人なのだ。
だからふつうの日本人が気づかないところが目についてしまう。

「日本人って○○だよねぇ〜」

じゃあ、おまえは何人なんだ!? ふつうの日本人ばかりのところではなるべく口にしないよう心がけているのだが、管理人の頭の中にはつねにこんなことが渦巻いている。これを気にせず言えるのは、帰国子女同士で会話するときだけだ。ちなみに、帰国子女同士の会話では言葉がチャンポンでもかまわないので、これも楽なところなのだ。管理人は英語の会話はいまだに苦手だが、バイリンガルというのはじつは英語と日本語のどちらかがそのときによって頭に浮かんでくる。これも言葉で説明するのは非常に難しいのだが、日本語で会話しているのにもかかわらず、返答が英語で浮かんでくる瞬間があるのだ。ふつうの日本人と話しているときは、それを瞬時に日本語に置き換えて話す。だが、中には完璧に置き換えられない言葉というのもあって、そうすると言いたいことが完全には伝わらない、というフラストレーションを覚えてしまう。

人は誰しも、知らず知らずのうちに毒キノコを食べてしまう瞬間というのがあると思う。何が毒になるかは、その人の生い立ちやいままでの人生によって変わってくる。ある人にとっては無害なマイタケだって、他の人にとっては毒キノコになる。毒が効いているあいだは、幻聴が聞こえるし、冷静な判断力も失う。

おそらく昨年の末から今年の前半にかけて、管理人は毒キノコを知らず知らずに食べていたと思う。だから、いま思えばなんでもないことにくよくよしていたし、過剰反応を起こしていた。ふつうは、あのころのことを思うと恥ずかしくて人前になど出られないはずなのだが、それでもこうしてのこのこ、また姿をあらわすところが立ち直りの早い帰国子女のいいところだ(←ポジティブな姿勢も帰国子女の特徴)。

管理人にとっての毒キノコは「ねばならぬ」と言われることだ。「みんなが○○だからこうしなさい」と言われることは、なんとなくどこかこの社会からはみ出していると常々感じている管理人にとってはとても居心地の悪いことなのだ。それでも多くの場合は周りに合わせることを知っているし、一見とけ込んでいる風を装うことには子どものころから慣れている。それでも、度が過ぎるとそれが毒キノコに変わる瞬間がある。

どうせ自分ははみ出しものなんだ。やっぱりここでも自分は外人扱いだ、と思ったとき、毒キノコの効果が現れて幻聴が聞こえたり幻覚が見えてしまうのだ。

毒キノコのいいところは、いつかその効果も切れるということだ。むろん、どんどん追加で毒キノコを食べ続ければ一生治らないこともあるだろうが、たいていは時間が経てば

「あれ? 何やってたのあたしってば?」

ということになる。管理人には幸い数少ないが良い友人が周りにいるので、毒キノコの幻覚に踊らされて口汚く他人の悪行をののしる管理人にしっかり冷や水を浴びせてくれる。そうすると我に返って次の毒キノコに手を伸ばさずに済むのである。

毒キノコを憎んで人を憎まず


毒キノコではなく人を憎んだ瞬間に、人は次の毒キノコに手を伸ばしているのかもしれない。

【管理人の独り言の最新記事】
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 17:33| Comment(8) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

座るまで待とう、強情犬

そう考えると、じつは思いあたる節があった。姫はトイレの躾が巧くできていなくて、うちに来てから、ほんとうにごく最近になるまでお漏らし癖が完全にとれなかった。♀犬のシッコポーズというのは慣れないとオスワリと勘違いする。じっさい当初、管理人も「姫、ノー!」と叫んだら、ただ座ろうとしただけだったということが何度かあったのだ。

座ろうとする→No→オスワリはいけないこと

そんな法則が姫の中にできていてしまったとしたら、姫が断固として座らない理由も合点がいく。同時に叱られるから座らないと決めているのだとしたら、座れば良いことがあると教えればオスワリをさせるのも夢ではないはずだ。

そこで管理人は半信半疑のまま「座ったら、何でもいいから褒めちぎる」作戦を始めたのである。ちらっとでも姫が座っているところを見かけたら、ともかく狂ったように褒めまくる。来る日も来る日もそんな地道なことを続けた結果、半年ほど経ったころ、ようやく姫は管理人の部屋の中でならふつうに座ることができるようになった。つまり、座ることは良いことだと教えるための半年の月日を経て、ついにふつうのしつけサイトに書いてある、片手におやつを持って鼻面よりうえに上げて「Sit」とコマンドをかけましょうという最初のところに行きついたのである。

いったんそこまで行ってしまえば、そこから先は比較的楽だった(とはいっても、けっきょくまたその後半年くらいはかかったのだが)まずは廊下でオスワリができるようになり、次に庭でなら座るようになり、散歩の途中、公園でならオスワリのコマンドに従うようになり、ついに最後は車がびゅんびゅん通る国道のそばでもきっちり座れるようになった。いまでは外出先であっても、姫はどこでもちゃんとオスワリができる犬になった。いまや、管理人が帰ってくると、姫は玄関でちゃんとオスワリして待っている。いくら教えてもツチノコ兄弟にはぜったいできなかった芸である(ツチノコはあいかわらず興奮して玄関じゅうを駆け回る)。犬猫屋敷風に言えば、これでついにひとつのコマンドが完成したことになる。

この長い長い行程のなかで、さまざまな事実がわかり、管理人自身も成長した。

たとえば、姫は言葉のコマンドがとても苦手で、さまざまな言葉の中から「Sit」というコマンドを聞き分けることが巧くできない。だが、ハンドサインはすぐに覚えたので、管理人はツチノコ兄弟に対しては曖昧だったハンドサインをきちんと出す習慣ができた。

姫にはコマンドという概念がどうやらもともと入っていない。頭のいい犬なので状況に応じてこういう動作をすべきだ、ということは比較的すぐ覚えるのでふだんの生活には支障がないが、たとえば玄関のたたきではスワレマテがちゃんとできるのに、餌を前にして待たせると、「マテ」で待って「OK」で食べるのではなく、最初に何か言われたら待ち、次に何か言われたら食べ始めるといった具合に、こちらのいう言葉を理解しているとはどうも思えない。コマンドにはいくつも種類があって、その言葉に従ったから褒められるのだ、ということを教えていくのはじつはこれからの作業なのだ。

誰にも増して食いしん坊な姫なのだが、じつは姫のしつけにご褒美はあまり必要はない。むろんご褒美があればますますやる気は出るのだが、極端な話、褒美などやらなくても褒めてやるだけで姫はきちんと動く犬だということがわかった。これは、オスワリ褒めちぎり作戦を実行していたときに判明したことである。ともかく座っている姿を見たら褒める、という作業を繰りかえしているとき、おやつ箱に手を伸ばすと、姫はおやつ欲しさに立ちあがって近寄って来てしまう。これでは座るという行動に対して褒められているというのが曖昧になるので、基本的におやつは一切使わなかった。つまり、姫にとってはたとえおやつがなくても、褒められることだけでじゅうぶん報酬になっていたのだ。

てなわけで、姫にオスワリを教えることは、管理人にとっては、ある意味、人生最大のチャレンジだった。正直オスワリひとつにここまでかかるとは思わなかったし、いままでは「オスワリなんてできてあたりまえ」と思っていたのが、オスワリもどうしてなかなか奥が深い、と考えを変えざるをえなくなったのだ。だが、他人から見ればたかがオスワリである。「何ができますか?」と訊かれて「オスワリ」と胸を張って答えても、「なんだ、この飼い主は?」と呆れた目で見られるだけだ。

だが、姫のオスワリはそんじょそこらのオスワリとは訳がちがう。何しろ2年越しで完成させた究極の芸なのである。

オスワリというベルリンの壁なみに高いハードルを越したおかげで、姫は、現在同時進行で三つの芸を練習するまでになった。1年越しで頑張っているフセ(第一ステージはようやくクリア)、半年がかりのお手(おそらくあと3年はかかるもよう)、先月から始めたクレートトレーニング(なぜかこれだけは、ほぼ完成)に関しては、また日を改めて書いていくが、ともかく、誰がなんと言おうとうちの姫ちゃんは最高である。

そして管理人はいま、あのとき「姫はバカだから、もう成犬だから今さらオスワリなんて」と諦めなくて良かったな、とつくづく思っている。

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2006年07月12日

座らぬのなら……

我が家の愛犬自慢をする立派な飼い主バカサイトになるためには、やはり

「うちのコは、こんなこともできるのよ!」

的なしつけ自慢も必要なのだが、めったにその手の話題が出ないのは、ひとえに我が家のしつけのスピードが亀の歩みであるからに他ならない。もともと飼い主がいいかげんで飽きっぽいところにくわえて、我が家にはオスワリ一筋丸二年を誇る姫さまがあいかわらずお座りオンリーで頑張っているからだ。

正直、姫が我が家に来た当初はこのまま一生オスワリもしない犬でもかまわないかな、と思いかけたこともある。「オスワリもできない犬」というのもある意味貴重だし、逆に、このまま死ぬまでオスワリをぜったい教えないと心に誓おうかとも思ったのである。

きちんとした訓練士についたわけではないが、知っている限りのノウハウを駆使しても奴は徹底的に座ることを拒否し続けた。むろん、競馬馬じゃあるまいし、部屋にいるときはちゃんと座って休憩するのだが、スワレといわれると、とたんに座ることを拒否する。極端な話、座ろうとしていたくせに「Sit」と言われると座るのを止めるぐらいだったのだ。

そこで、管理人は日英問わず相当数のしつけサイトをチェックして回った。オスワリの教え方はむろんどこにだって書いてある。ただ

「オスワリを拒否するのに命をかけている犬の座らせ方」

「先祖代々座ることを禁じられた犬にオスワリを教える方法」

についてはどこを探しても書いてなかった。もしかして、こういう犬ってうちだけなのだろうか? 管理人はかなり真剣に悩んだのだ。

こういうとき、一番簡単な方法は

「うちの犬はバカだからオスワリもできない」

とあっさり片づけることだ。だってうちのコは成犬になるまで何もしつけられてなかったんだから、できなくたってあたりまえだとあっさり言う飼い主もいるだろう。べつにオスワリなんかできなくたってふだんの生活は困らない。たしかにそうかもしれないし、その飼い主がそれでもいいと思うのなら、管理人としては反論するつもりは毛頭ない。

だが犬猫屋敷の場合はちがった。あまりに姫がお座りを拒否し続けたので、逆に好奇心が湧いてきたのだ。

「なんでこいつは、ここまで座るのを嫌がるのだろうか?」

餌を片手に持って「Sit」と号令をかける正統派のトレーニングに犬も飼い主もうんざりしていたこともあって(何しろ何度やってもできないのだ。いいかげん誰だって嫌になる)管理人はとにかく姫のようすを観察するのに時間を費やすことにした。その結果、姫は管理人が見ていないところではオスワリをすることに気がついた。

もしかして、姫はオスワリすることは悪いことだと思っている? オスワリしたら怒られると思っているのだろうか?

明日につづく……

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ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | しつけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月11日

当たってる?!

成分解析というサイトを見つけた。適当な言葉を入れると、機械がランダムに言葉をあてはめて、それに関する成分解析をするという、よくあるウェブ上のお遊びサイトなのだが、仕事の合間の気晴らしにいろいろ思いついた言葉で試してみた。

犬猫屋敷の管理人の解析結果

犬猫屋敷の管理人の60%は宇宙の意思で出来ています
犬猫屋敷の管理人の26%は媚びで出来ています
犬猫屋敷の管理人の7%はマイナスイオンで出来ています
犬猫屋敷の管理人の6%は理論で出来ています
犬猫屋敷の管理人の1%はミスリルで出来ています

ほぉ〜やっぱり犬猫屋敷の再開は宇宙の意志だったわけだわーい(嬉しい顔)
だが媚びが1/4を占めるっていうのが気に入らない。管理人は決して人に媚びたりしない誇り高い人間なのに。そうだ、管理人が媚びることなどありえない。相手が金持ちで権力者で美味しいものをただで食べさせてくれるとき以外は……

DJの解析結果

DJの54%は華麗さで出来ています
DJの27%は言葉で出来ています
DJの7%はお菓子で出来ています
DJの7%は濃硫酸で出来ています
DJの5%はアルコールで出来ています

やっぱりね、そうそうディーの半分は華麗さでできていた。なかなか当たってるじゃないの、これってば!

カイザーの解析結果

カイザーの51%は宇宙の意思で出来ています
カイザーの36%は蛇の抜け殻で出来ています
カイザーの7%はお菓子で出来ています
カイザーの4%は成功の鍵で出来ています
カイザーの2%は言葉で出来ています

脱け殻ってところに妙に納得。

ツチノコ兄弟の解析結果

ツチノコ兄弟の59%はカルシウムで出来ています
ツチノコ兄弟の31%はスライムで出来ています
ツチノコ兄弟の6%は気の迷いで出来ています
ツチノコ兄弟の2%はミスリルで出来ています
ツチノコ兄弟の2%は成功の鍵で出来ています

ツチノコ兄弟は生まれつき骨太さん!

そして、オチはやっぱりこの方……

姫の解析結果

姫の75%は気合で出来ています
姫の9%は濃硫酸で出来ています
姫の8%は言葉で出来ています
姫の7%は心の壁で出来ています
姫の1%は成功の鍵で出来ています


そうじゃないかとは思ってたよがく〜(落胆した顔)
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 21:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

オイ、ジダン!

妙な夢を見て明け方に目が覚めてしまった。

ふだんはリラックスして安眠できるよう、寝る前は好きな本を読むことにしているのだが、現在またもや納期に追われる身ゆえに、眠くなるまで仕事の資料を読んでいたせいかもしれない。ともかく、時計を見るとちょうど4時を少し回ったところだったので、どうせ起きてしまったのだからちょっとだけ決勝でも見てみるか、とテレビをつけた。

今回のワールドカップは、ディーの病気がわかった直後に始まったこともあって日本の試合も含めてほとんど何も観ていない。いちおうダイジェストなどでどこが勝ち進んだかくらいはチェックしていたのだが、せっかくだから決勝ぐらいはちゃんと観ようという気になったのだ。

少しだけ観て、眠くなったら寝直そうと思っていたにもかかわらず、けっきょく結果が気になって最後まで観てしまった。

だって、ほんとうにどっちが勝つかわからない、ものすごい試合だったんだものがく〜(落胆した顔)

それにしても、一気に腰が抜けたのはジダンの一発退場だ。怪我をしてもそのままピッチに残り、これは根性で最後フランスが勝つのだろうかと思っていた矢先に、試合の進行とはまったく関係ないところでいきなり喧嘩でレッドカードときたもんだ。あそこで退場しなければ、勝っても負けてもジダンはフランスの英雄として歴史に名を残しただろうに。にもかかわらず、あそこでああいうことをするあたりが、ジダンらしいと言えばジダンらしいのだがふらふら

いずれにせよ、サッカーについてはド素人の管理人が観ても、やっぱり世界の水準は高いのだとしみじみ思った。すみません、日本チームも予選突破とか期待したわたしがバカでしたって気分になった。だって素人目で見ても、ぜんぜん試合運びがちがうもの。フランスとイタリアの試合は、ピッチが狭く見えたもの。イタリアチームなんて30人ぐらいいるんじゃないかと思ったほど、いつでもどこでもボールの飛んでいく先に人がうじゃうじゃいたんだもの。

はぁ〜遠いな日本チームの予選突破。管理人が生きているうちに、果たして決勝リーグに進める日は来るのだろうか(ため息)

ちなみに、同世代の友人と先日サッカーの話をしていたところ、日本戦って怖くてまともに観られないよね〜という話になった。もともとサッカー好きという人以外だと、管理人たちの世代の人間は、最初に観たサッカーの大きな試合が1993年10月のアメリカワールドカップアジア地区予選の対イラク戦、通称「ドーハの悲劇」という人もじつは多いのではないかと思う。管理人も友人もそういう1人で、ぜったい勝ちと思っていたのに、いきなり最後の最後で点を入れられ一発逆転というさまを最初に観てしまったせいか、いまだに日本戦は落ちついて観ることができない。だいたい当時はロスタイムなんてルールも知らなかったくらいだし、90分終わったのになんでよ!とTVの前で騒いでいた記憶がある。1点や2点の点差では、

「きっとまた逆転されるんだ、最後にゴールされて負けるんだ」

と、とても不安な気持ちになる。その後何度も日本の勝ち試合を観ているにもかかわらず、ここまでくると立派なトラウマである。おそらく、30対1くらいで日本が勝っていないかぎり、管理人が心静かに日本戦を観戦できる日は来ないだろうと思っている。

管理人がまだ頬っぺツルツルの中学生のころの話なので、かれこれ10億年ぐらい前のことになるが、管理人の中学ではなぜか男子(男の子じゃなくて男子なのだ!)のあいだでサッカーが異常にブームになっていた。都内とはいえいちおう立派な校庭があったのだが、サッカーピッチがようやく1面とれる広さで、その1面を確保するために、クラスのなかでもとくに脚の速い子が、授業が終わると同時にサッカーボールを持って校庭に向かってダッシュしていた。ちょっとでもスタートが遅れると、他の学年の子に場所をとられてしまうので、サッカーには参加しない女子も含め、なぜかクラス一丸となってチャイムが鳴ると同時に授業が終わるよういろいろ画策したことを思いだす。

あのころの同級生たちも、おそらくいまや立派なお父さんになっていて、いまごろは眠い目をこすりながら愛するわが子のために働いているのだろうと思うと、思わず微笑みがもれてしまう。我が子はいないが、同じくらい金がかかる愛犬のために、管理人も眠い目をこすりながら仕事に戻るとしましょうか……

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ちょっと、ご飯まだ?

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 11:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

飼い主バカ

ちょっと前の話になるのだが、Play Bowのドギーパーティーに行ってきた。

ディーの病気がわかり、すっかりめげていた管理人に代わって、ちはりんさんをはじめとして、いろいろ調べて情報をくださった皆さんにお礼を言いたかったのもあって、ディーの葬式の翌日、思いたったが吉日、といきなりふらふら出かけたのである。

予約もせずに、考えてみれば迷惑この上ない話なのだが、以前からどんなことをやっているのか是非見てみたいと思っていたのもあって、潜り込めるなら行っちゃえ、ということになったのだ。管理人のいまの仕事のやり方では、1ヶ月先の予定など立てることは不可能だ。仕事が途切れたら、そのときが休みというライフスタイルになって、かれこれ3年以上が経つのだが、おそらくあと5年かそこらは、毎月第2△曜日にXXで、というような約束をするのはまず無理だ。だから、当日行けるとなったらふらっとその場に現れる。今回もまた、そのパターンだったのである。

だが、こっそりと行って、ひっそりと見学して帰るには、犬猫屋敷のご一行さまは生まれつき身体も態度もデカすぎる。けっきょく、本人たちはさりげなく潜り込んだつもりが、またもや犬どもがあれこれやらかして、しっかり皆さまから笑いをとったのである。

まず第一に、呼び返しをご披露する場面で、近づいてくる巨大犬カイに驚いた小型犬(今回はほとんどがチワワやダックスだった)の皆さんから一斉に声が上がり、それにビビッたカイザーは一目散にその場から逃げだした。吠えている犬の全体重を合わせてもカイの半分にも満たないのに、プルプル震えながら管理人の元に尻尾を巻いて逃げ帰ってくるあたり、いくつになっても腰抜けカイちゃんは健在である。

続いて他の犬と飼い主さんが見ている前で申告一発芸をご披露する場面では、レバーを片手に姫にオスワリをさせようと奮闘している管理人のところに、すでに一発芸(いちおうフセをご披露した)を終えたはずのカイがのこのこ出てきて

「それ、もらえるんですかぁ〜? オスワリすればいいの? それともお手?」

と頼んでもいないのに持ち芸をせっせとご披露して、皆さまの失笑を買ったもうやだ〜(悲しい顔)

その後、他の人がゲームをやっているあいだに、管理人と妹がちはりんさんのところの凛と愛唯あいてに機嫌良く遊んでいたところ、いきなり姫が他人様のゲームに乱入し、ゲームの進行を止めてしまったあせあせ(飛び散る汗)

そして最後に、お玉にボールをのせ、犬を連れて走ってタイムを競うリレーゲームでは、いつものごとくゲームのルールを勝手に解釈したカイザーが、落ちたボールを追っかけ回し、これまた皆さんにあきれ顔で見られる始末ふらふら

要は、邪魔しに行ったとしか思えないじつに惨憺たる結果だったのだが、もともと典型的な飼い主バカである管理人としては我が愛犬の成長ぶりに目を細めて大喜びしたしだいだ。

室内ドッグランは初めてだったので、犬たちのリアクションが予想できなかったのだが、最初はさすがに2頭とも尻尾を下げてその場から逃げだしたいというようすがありあり見えたが、30分も経つとその場の雰囲気に慣れて自由に徘徊しはじめた。

散歩の途中ではまだまだ歌う癖が完全にとれない姫なのだが、今回嫌というほど吠えられた(我が家の2頭はダントツにジャイアントだったので、小型犬の皆さんをすっかり怯えさせてしまったのだ)にも関わらず、1度も歌を披露することなく、しっかり吠えられたら無視を決め込んでいた。

いままではとくに問題を起こさない、ドッグランでも安心なカイだったが、正直今回初めてディーがいない状況で多くの犬がいる場に連れて行ってどういう態度をとるか管理人も読めなかった。もともと臆病なカイである。いままではディーがいたので安心してどんな状況でも対処できていたが、頼りの兄貴がいなくなったいま、過剰反応することも考えられた。だが、そんな管理人の心配をよそに、カイはあいかわらずマイペースでどんな人にも犬にも愛想よくきちんと挨拶してまわっていた。

むろん、オスワリしかできない犬は姫の他には来ていなかったし、多芸な皆さんに比べるとうちの2頭の無芸ぶりが際立ってはいたのだが、飼い主バカの管理人に言わせれば、何の芸もできなくとも、うちの2頭が一番愛想がよくてやっぱり最高の犬たちだ、ということになるのだ。

とくに、オスワリ一筋丸二年の姫の成長ぶりはめざましかった。たかがオスワリと言うなかれ、何しろ1年前には家の外では一切座らない犬だったのだ。それがいまや見ず知らずの他人や他の犬にじっと見つめられ、緊張度120%の状況でもちゃんと座れるようになったのである。他人から見ればたかがオスワリで何をそんなに騒いでいると言われそうだが、当の本犬と飼い主にしてみれば、人類が月に到達したような大進歩だったのだ。

むろん、課題や問題点もたくさん目についた。これから直さなくてはならないところも多々あるが、それはまた追々やっていけばいいことだ。

ともかく、誰がなんと言おうと、我が愛犬たちは確実に毎日一歩ずつ進歩している。それを目の当たりにして、感涙にむせぶ飼い主バカなのである。

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連日のお出かけで疲れ切った姫さんと専用枕の図

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 13:53| Comment(5) | TrackBack(0) | うちのコたちの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

変化

DJがいなくなって、管理人を含め家族が一番心配したのは、カイザーがディーの死をどう受け止めるかという問題だ。2頭は生まれたときからずっと一緒に暮らしてきた。カイザーが脚に怪我をして1日入院したときと、ディーだけを連れて出かけるという非常にレアな状況を除いて、彼らはいつも一緒にいた。その片割れがいなくなったことで、カイが大きなストレスを受けるのは、ほぼまちがいなかった。人間もそうだが、ストレスというのは大敵だ。仲のよかった群の仲間がいなくなって、残された犬があとを追うように逝ってしまったというのは決して珍しい話ではないのだ。

人間が考えるより、犬はずっと繊細な生き物だ。群で生きる社会性のある動物であるが故、ちょっとした生活の変化が原因で体調を崩すこともままある。たとえば、それまでずっと家にいた飼い主が、頻繁に出かけるようになっただけで餌を食べなくなったり、問題行動を起こしたりする。

カイの場合も、ディーを見送って数日はたしかに元気がなかった。餌もなかなか食べようとしなかったし、ディーの具合が悪くなってからはほとんど一緒には行っていなかったにもかかわらず、散歩のときもしょんぼりしていつものカイらしくなかった。

だが、ディーの死から1週間、10日と経つうちに、しだいに以前の元気を取りもどしてきた。カイの心理にどのような変化があったかはわからないが、いまは以前の通り餌も残さず食べるようになったし、散歩も尻尾振り振り元気に出かけるようになっている。

翌日火葬場に連れて行くまでのあいだ、ディーの遺体は部屋の隅を囲ってそこに寝かせておいた。管理人が寝ているあいだに、他の2頭が悪さをしないよう柵を立てておいたのだが、カイがその柵越しに動かなくなったディーの姿をじっと見つめていたのが印象的だった。犬が仲間の死というものをどう受け止めるかは管理人にもわからない。ただ、カイが自分なりに相棒に対してお別れをいっていたような気もするのだ。

ディーがいなくなったことで、カイの態度に変化が生じた。

犬猫屋敷の犬たちの順列は、ディー、姫、カイにある程度固定されていたので、ディーがいなくなったあとは姫が群を仕切るのだろうと管理人は予想していたが、意外にもディーが抜けた穴を自分が埋めなければならない、とカイは考えている節がある。

パピーの頃から、カイは外で排泄するのがとても苦手で、できれば散歩の前に室内トイレか庭でぜんぶしていきたいというタイプの犬だった。マーキングもほとんどせず、小さい頃はお出かけ先では一切排泄ができないような臆病な犬だった。ところが、最近カイは散歩のたびにせっせとマーキングをするようになったのだ。ディーほど頻繁ではないものの、それでも要所要所で脚を上げるようになった。

散歩のとちゅうで群の仲間がちゃんとついてきているか、ふり返ってチェックして、遅れているものがいればその場で待つのも群の隊長としてのディーの役割だったのだが、最近はカイがこれをするようになった。

散歩から戻ったあと、玄関で足を拭いてもらう順番は、これまたディー、姫、カイとなんとなく決まっていたにもかかわらず、いまはカイが姫より先に足を拭いてもらおうと上がってくる。以前はカイに負けじと姫も先を争って上がってきたものだが、いまは、姫もカイが先に足を拭いてもらうのがとうぜんだと思っている節がある。

足を拭いたあと、カイはとうぜんのように風呂場に行く。そこで洗面器に水を張ってもらってそれを飲むのがディーは大好きだったのだが、なぜかいまはカイがそれを要求するようになった(別の要求吠えをするとか騒ぐわけではなく、ただ風呂場の入り口で物欲しそうな顔でたたずんでいるだけなのだが)。ディーがいた頃は洗面器の水などには見向きもせず、さっさと部屋に帰って部屋の水入れから飲んでいたにもかかわらず、いまは洗面器の水が大好きになった。

たぶんカイはこんな風に思っているのだ。

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このたび、新たに隊長に選出されたカイちゃんです。
一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


選出されたっていうか、単なる順送りだろうと管理人は思うのだが、本犬が張り切っている以上ともかくやらせておくのがいいのかな、と思っている。いままでは、ディーくんがいるからボクはいいや、と思っていたことを、カイはいませっせとやっているようなのだ。むろん、もともとアルファ気質が極端に弱いカイにとってディーの代わりは荷が重いだろうし、それじたいがストレスになるということも考えられる。とはいっても、マーキングするのを止めろとはいえないし、かといって、代わりに管理人がマーキングして回るわけにもいかないしふらふら

いずれにせよ、カイが今後どのように変わっていくのか、姫とカイの関係がどうなっていくか、犬猫屋敷の群全体にどういう変化が訪れるのか、管理人としては犬の小さな仕草を見逃さずに見守っていきたいと考えている。
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 12:37| Comment(2) | TrackBack(0) | カイザー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

ペットロス

今さらながら、ペットロスに陥っている。

病気のせいで、ディーは最期、短いながらそうとう苦しんだせいか、見送った直後は、これでよかった、あのコはいまごろもう痛みを感じていないのだ、と自分を納得させていたのだが、月日が経つうちにしだいにディーの抜けた穴がぽっかりと口を開け、失ったものの大きさに呆然としている。

我が家には、あいかわらずあれこれやらかしてくれる2頭の犬たちが残っているし、猫もふらふらしていたりと気を紛らす術はあるのだが、何匹動物を飼っていようが、いなくなったコの代わりにはならない。姫にブラシをかけながら、そういえばディーは管理人がブラシを持つとすっ飛んできて前に座ってブラッシングして、とねだったっけな、とかカイと引っぱりっこをして遊びながら、ディーがいた頃は、カイとこうして遊んでいると焼き餅を焼いて邪魔しに来たものだ、と思いだすたびに涙がこぼれてくる。

弔いの方法というのは人によってさまざまだ。浴びるように酒を飲んで悲しみを忘れる人もいれば、人に話すことで楽になれる人間もいるだろう。管理人の場合は、こうして文章を書くことで、少しずつ時間をかけてディーに別れを告げている。いまでも、ディーのお骨は管理人の枕元に置いてある。いつになるかわからないが、ほんとうに管理人が心からディーを見送る気になったとき、土に返してやろうと思っている。

1年ほど前のことだと記憶しているが、保護活動をしている人たちのあいだで、ある話が一斉に広がった。多くの人が自分のサイトに載せていたので、読んだ記憶のある人も多いとは思うが、うる覚えながらたしか、犬の世話をほとんどしない飼い主が獣医に持ち込んだ犬が、助かる見込みのない重病で、飼い主は犬を置いて帰ってしまって、見るに見かねた獣医が安楽死させたというような話だった。皆さんしきりと「こんな飼い主は最低だ」「こんな可哀想な犬を減らそう」と書いていたのだが、管理人はその話を読んだときなんとなく釈然としない思いがした。そのときは、何が心に引っかかったのか巧く説明できなかったが、ディーを見送ったいま、あのとき感じた違和感の正体がわかった。

たしかに世話をしない飼い主に重病の犬を戻しても、苦痛が長引くだけで安楽死させるのがもっとも人道的な処置だとは思う。最期にほんの少しでも人の愛情を感じさせてやれたのも犬にとっては幸いだっただろう。安楽死をさせた獣医にとってはできる限りのことをしたのだろうが、犬と飼い主にとってそれが最善の方法だったのだろうか、と考えたとき、管理人は疑問に思うのだ。

どんなにひどい飼い主であっても、犬にとっては自分の飼い主が最高の飼い主だ。犬は他犬と自分の環境を比べたりしない。予防接種をしてもらえなくても、安い餌や残飯を食わされていても、めったに声をかけてもらえなくても、散歩に連れて行ってもらえなかったとしても、犬はやっぱり飼い主に振り向いてもらいたいと欲している。1日に数分しか声をかけてもらえなくても、犬は1日中その瞬間を待っていて、尻尾を盛大に振って大喜びする。それが犬という生き物のすばらしいところなのだ。飼い主がたとえ1しか愛情を与えなくてもいつも100%を返してくれる。

そんな犬に人間がお返しできる方法はひとつしかない。最期のときに、黙ってそばについていてやること。死という姿の見えない敵に立ち向かっている家族のそばで一緒に戦ってやることだ。それは人間にとって、決して楽なことではない。できれば元気な頃の姿だけを覚えていたいと思うだろう。だが、そこで逃げるような人間は最初から生き物を飼う資格はない。命あるものは、いつかこの世を去っていく。その瞬間をきちんと見送る覚悟がないのなら、はじめから動物など飼うべきではないのだ。

だから管理人は、飼えなくなったからといって動物を捨てる人間、処分してくれと保護センターに持ち込む人間を軽蔑する。もしほんとうに飼えなくなったのなら、きちんと飼い主の見ている前で逝かせてやるべきだ。最期の瞬間、独りぼっちで不安のなかで旅立たせるような真似は決してしてはいけないのだ。たとえグッピー飼いでもいい、まともな餌を食べさせられなくても、外飼いでろくに散歩に連れて行ってやらなくても、きちんとしつけをして犬のニーズを満たして幸せな生活をさせてやらなくてもかまわない。だが、最期をきちんと看取ってやるくらいは、どんな飼い主だってやろうと思えばできるはずだ。その責任を放棄するような人間は、生き物を飼う資格などないはずだ。

飼えなくなった犬や猫を自分の手で殺さなくてはならないとなったら、もうダメだ、うちでは飼いきれないと思う人の多くはもう一度頑張ってみようと思うだろう。引っ越し先で動物が飼えない? そんなことは言っていられない。どんなに家賃が高かろうがペット可の住宅を探すだろう。しつけが巧くできなくて、手に負えない犬になってしまった? 飼えなければ自分で殺さなくてはならないのだ。それを回避するためなら、しつけが苦手なんて言ってはいられなくなる。

だから、無理を承知でいうならば、冒頭の安楽死の話も、どんなことをしても飼い主に立ち会わせるべきだったのだ。それこそ首に縄をつけてもその場に引っぱってきて、犬がこの世を去るさまをきちんと見せるべきだったと思う。犬にとっては見ず知らずの他人に囲まれて逝くよりはずっと安心できたはずだし、その無責任な飼い主にも命というものがどういうものかわからせる効果もあっただろう。それをせずに、ただ犬が可哀想だ、こんなひどい飼い主は許せないと騒ぐだけでは何も状況は変わらない。

ディーの死は決して楽なものではなかった。眠るように静かに息を引き取ったというのにはほど遠い。病気がわかったあとも、救ってやることはできなかったし、痛みを完全にとりさってやることすらできなかった。ディーの期待になにひとつ応えられなかった、ダメな飼い主だったと後悔ばかりの毎日だ。それでもたったひとつだけよかったなと思うのは、最期の最期にずっとそばについていてやれたことだけだ。最期にディーの瞳が見たものは、管理人と仲間の犬たちの顔だった。

管理人の記憶のなかから、ディーの苦痛にゆがむ顔が消えることはないだろう。それでも心静かにディーの冥福を祈れるような日が来るまで、管理人の弔いは続いていく。

【犬の十戒 10】
Go with me on difficult journeys.
Never say, "I can't bear to watch it ." or " Let it happen in my absence."
Everything is easier for me if you are there.

Remember I love you.


旅立ちの時には、そばにいて。
「見ているのがつらいから」とか「わたしがいないところで逝かせてあげて」なんていわないで。
あなたがそばにいてくれれば、ボクはどんなことでも耐えられる。

忘れないでね。あなたのことが大好きだよ。


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ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 11:55| Comment(3) | TrackBack(0) | DJ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

もったいない

将軍さまんとっからミサイルが飛んできた。おそらく歴史に残る大事件なのだろうが、お気楽姉妹はいつものごとくチャラケて将軍さまの心理分析をやっている。

「せっかくドイツを応援してたのに、セミファイナルで負けちゃったから、コイツコイツ!って目の前にあるボタンを押しまくっちゃったとか?」

いちおう一国を率いる指導者なわけだし、そんなことはありえないが、いい歳してディズニーランドに行ってみたいというだけで密入国して見つかってしまうような人のオヤジである。もしかしたら、もしかするってこともあるかもしれない。

ほんとうにミサイルが落ちてきて、当たっちゃったりしたら、たぶんすごく痛いのだが(痛いだけじゃ済まないと思うふらふら)生まれたときから平和ボケしたこの国で暮らしていると、お隣さんがじつは軍事国家だったといわれても、なんとなくピンと来ないのだ。

一説によると、ミサイル1発発射するのに100億円あまりかかるらしい。管理人のような貧乏人にとってはそれがどれほどの金額かは想像もつかないが、飢えと寒さで年間何万にもの人間が死ぬ国で、1日に700億円を一気に使うっていうのは、どう考えても「もったいない」な、と小市民な管理人は思うのだ。同時に、貧困にあえいでいて、国際社会の援助が必要だとさんざん騒いでいる割には、一気に大金を使ってしまう将軍さまにはオイオイおまえ、と言ってやりたい。

「皆さんの暖かいお心が活動の唯一の手段です。手弁当で頑張ってます。どうか援助をお願いします」

と言われて、ようやくかき集めた寄付金や援助物資を持っていってみたら、運営事務所が六本木ヒルズにあった……みたいな違和感を覚えるのだ。

「お金がないんじゃなくて、使い方がまちがってんじゃないの、あんたらexclamation&question

いわば、そんな気分である。

700億円あったら、さぞやたくさんの人のお腹がいっぱいになるだろうに。ミサイル7発打ち上げる燃料を使えば、来年の冬を越せる家族はどれくらいいるのだろうか?

勘違いしたカウボーイハットのオッサンが、「世界に自由と民主主義を!」とか言いながらいきなり戦争をおっぱじめないのは幸いだが、経済制裁もやり方をまちがえると、貧しい人がますます食べられなくなるよね。将軍さまのおかずが3品ぐらい減るのはじつに喜ばしいことだが、ただでさえおかずがない家族がご飯まで食べられなくなるのはやっぱり問題だ。

「日本人はもっと怒るべきだ」
「有事の対策に防衛の強化を!」

青筋立てて騒いでいるいわゆる専門家の発言を聞きながら、いいじゃん、平和ボケしてたって。平和ボケしている人間ばかりなら世界はきっと平和になるよ、と脳天気に思っている管理人なのだ。

「戦争になったら、あなたはどうしますか?」

「怖いから逃げます」

そんな腰抜けの、性善説を信じてる平和ボケした人ばかりならば、戦争なんて起こりようがないのだから。

それが証拠に、バセットばかりの集団ではぜったい喧嘩は起こらない。

Kaiser067.JPG

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

お友だち

雨は嫌いだもうやだ〜(悲しい顔)

トイレは基本的にお外が好きるんるんというディーが元気だったころは、雨が降ろうが槍が降ろうが毎日2回の散歩は欠かせなかったが、カイと姫は大小共にしたくなれば室内トイレで済ませるので、きょうのような1日中雨の日は散歩をさぼってみようかとも思ったのだが、けっきょく2頭とも律儀に我慢しているのを見て、嫌々ながら小雨になったタイミングを見計らってトイレ散歩に行ってきた。

以前は雨だと散歩のテンションが極端に低くなっていた姫さんだが、最近は雨だろうが嵐だろうが嬉々として散歩に出かけていく。たとえ、びしょ濡れになったとしても、家に帰れば身体を拭いてもらえて寒い思いをすることもない。人にふたたび飼われるようになって2年の歳月が経ち、ようやく姫もまたふつうの脳天気なペットの感覚に戻ったのか、はたまた散歩マニアの飼い主に飼われている以上、嫌でも散歩は義務なのだと考えているのかは知らないが、ともかく、最近はよっぽどひどい降りでないかぎり、雨の中のお散歩も姫にとっては楽しみになった。

物の本によると、臭いというのは湿気があるほうが強くなるのだそうだ。だから臭跡追跡犬が犯人や行方不明者を捜索する際も、ピカ天の日より雨上がりのあとのほうが、成功率が高いのだという。

出かける前は

「この雨のなか、ほんとうに行くんっすか?」 ふらふら

みたいな顔で飼い主を見上げるうちの方々も、いざ外に出てしまうと、雨に濡れるのも忘れたように、しきりに鼻をピクピクさせてあたりの臭いを嗅ぎまくる。セント・ドッグの血を引く彼らにとっては臭いを嗅ぐという行為じたいが何よりの楽しみであり、喜びなのだ。

ときには草むらや植え込みのなかに顔を突っ込み延々何かの臭いを嗅いでいる。臭覚が極端に弱い人間にはしょせんわからないことなのだが、そこにはきっと、とびきりの情報が書かれているにちがいない。

植え込みや生け垣に身体を半身つっこんで熱心に臭いを嗅いでいるうちに、妙なおみやげをもっらってくることがある。たとえばカイはしょっちゅう顔をプチプチだらけにしているし、姫だっていろいろつけてくることはある。

たとえば、知らず知らずのうちにお友だちが家についてきちゃったりとか……

Hime334.JPG


お邪魔しま〜す! 
初めましてm(_ _)m ナメクジと申します!


がく〜(落胆した顔) どうせ連れてくるのなら、せめてカタツムリにしてほしい(涙)
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 16:24| Comment(3) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする