2006年08月29日

一気!

管理人がまだ花の女子大生をやっていたころのことなので、3万光年ほど昔の話なのだが、とんねるずの「一気!」という歌が流行って、飲み会といえば一気に酒を飲み干すのがお作法になっていた時代がある。

いま思うと、せっかくの酒を味わいもせずに飲み干すなんて貧乏な大学生としてはしごくもったいない真似をしていたのだが、もともと酒の味などまだ判らない若造だし、第一、味わえるほど良い酒も呑んでいなかった時代なので、それはそれで良かったのかもしれない。ともかく、当時は「一気! 一気!」のかけ声にグラスを空にしない奴など「人間失格」のレッテルを貼られていたため、新歓コンパで急性アルコール中毒でぶっ倒れる輩が絶えなかった(遠い目)。

いまどき「一気!」なんてやる奴は、別の意味で「人間失格」だと白い目で見られるが、最近、管理人はほぼ3万光年ぶりに「一気!」している奴を目の当たりにした。



それも我が家で……




しかも犬(笑)が……




ちなみに、管理人は何も「一気! 一気!」とはやし立てたわけではない。自らの意志で、勝手に「一気」に飲み込んだのだ。

こいつが下

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ホネを……


先日、犬猫屋敷プチ夏の園遊会の際に、つむぎちゃんからおみやげに牛テールをいただいた。ずっと冷凍庫に保管してあったのだが、先日思いたってそれを解凍し、人間用のテールスープを作って、出汁を取った出がらしの肉と骨を犬たちの夕飯の皿に入れてやったのである。言うまでもないが、牛の骨は我が家のデカ犬コンビの大好物である。

管理人がそれぞれの皿に肉と骨を取り分けているあいだ、姫はすでに喜びのあまりキッチン中を走りまわって、オリジナルソング「きょうのお夕飯はとびっきりのご馳走よぉぉぉぉ〜るんるん」をフルコーラス歌いまくっていた。涎はたらーっ(汗)たらーっ(汗)たらーっ(汗)だし、もう待ちきれないとばかりにいつものお食餌場につくと彼女は一気に皿に顔を突っ込んだのである。

骨の食べ方にも個体差がある。すべてにおいてのんびり屋のカイの場合、バリケンに入れてやった皿の中から骨だけを拾いだし、わざわざそれを持って管理人のそばまで持ってきて、管理人の膝を皿がわりに時間をかけて骨をかみ砕いて食べる。それに対して姫さんの場合は……



ごぉぉぉぉ〜左餌を吸い込んでいる爆音)





し〜ん……





ふと見ると、皿はすっかり空になっている。



あれ? あれれ? どうしてゴリっとかバリって音が聞こえなかったわけ?


「もう終わっちゃったわぁ〜 どーしてかしら。
 ちょっと、なんでデブだけあんな美味しそうなものコリコリ囓ってるわけ? アタシのところにはあれ、入ってなかったわよ!」


入ってたってexclamation×2 ちゃんと等分に分けてやったのにふらふら

テールの骨はたしかに小さいが、ふつう一気に飲み込めるサイズではないと管理人は思う。だが、皿の中に餌と混ぜて入れてしまった管理人が悪かった。まさか骨まで一緒に吸い込むとは思ってもみなかったのだよ。

ホネを丸ごと飲み込んだ、なんてことになったらふつうの家だと大騒ぎになるのだろう。だが、姫が巨大な物体を吸い込むのは犬猫屋敷では日常茶飯事である。どうせ喉に引っかかってあとでゲーゲーすることになるか、後日下から丸ごと出てくるか、いずれにせよ様子見を決め込んだのだが、けっきょく姫はその後も元気そのもので、あの骨がいったいどこに行ってしまったのか管理人としてはブラックホールのような姫の消化器に感動すら覚えてしまった。
「アタシの消化液は一級品だから。高かったのよ、このオプション。でもつけたのね」

たしかに、アンタの胃液はおそらく超合金でも溶かすだろうよ。ホネを丸ごと、それも一気に3コも飲み込んで平気でいられるなんて、ぜったい他の犬にはできない芸当だわがく〜(落胆した顔)

この経験から、姫にホネをやる際は食餌に混ぜるのではなく、食後のデザートとしてやらねばならぬということを、遅まきながら学習した管理人である。

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 00:00| Comment(7) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月28日

広報活動

ハードな話三連チャンは営業的にどうかな、と思いつつも、きょうもちょっぴり厳しい話。

今回の子猫殺し騒動を眺めていて、管理人が思ったのは、これは一夕一朝で片づく問題ではないな、ということだ。世の中にはさまざまな意見を持つ人がいるわけだし、すべての人が、殺される子猫は可哀想だと思うわけではない。せっかく生まれてきた命を安易に処分するのはまちがいだ、そういう人間は鬼なのだ、という議論をしたい方は、まあ勝手にやってもらってかまわないのだが、世間のすべてがそう感じる人ばかりではないし、今後もそういう人ばかりの世の中になるとは思っていないというの管理人としての見解で、これが、管理人の意見の大前提である。

で、ぶっちゃけた話、この国の殺処分の現状はそうとう酷い状況である(処分方法の見直しを求める署名はこちらから)。統計的に見れば処分に回される犬の数は少しずつ減ってはいるものの、昨日も書いたように猫の処分数は横ばいだ。じっさいはペットブームで犬猫を購入する家庭がどんどん増えていることから考えるとそうとう改善されていると思うこともできるのだが、ともかく、ノーキルを実現するまでにはまだまだ時間がかかるだろうというのが管理人の考え方だ。

で、ノーキルを実現するには今後何をしなくてはならないのか?

じつはここが難しいところなのだ。なぜなら、昨日の記事でも書いたようにペットの殺処分の問題は、勧善懲悪で片づけられるほど単純な問題ではないからだ。

たとえば、地方のセンターと都心のセンターでは犬猫を持ち込む理由が大きくちがう。犬猫を避妊し、病気予防をして、プレミアフードを食べさせて飼うというのはごく一部の大都市に住む人間たちの常識であって、いまだにペットのご飯はぶっかけ飯、避妊去勢手術はせずにほとんど外で放し飼いという地域はいくらでもある。そういう地域で処分される犬猫の多くは望まれずに生まれてくる命なのだ。

だからそういう地方では、避妊去勢の費用を安くしたり、手術のメリットを訴えることで処分される命を減らすことができるかもしれない。かたや都会では、流行の犬を買ってみたら吠えるし言うことはきかないし、散歩もけっこう面倒くさいし、近所からの苦情もでるし、もう飼いきれないから捨てちゃいましょうという飼い主がけっこういるのではないか、と管理人は思っている。「いつでも里親募集中」などのサイトを覗いてみるとわかるのだが、ブレークして半年から1年ほど経つと、流行犬種の里親募集が軒並み載るようになるのだ。一時期、センターの檻に入っているのはゴールデンばかり、ハスキーばかりだったという話もあるように、流行犬種と処分される犬種にはある程度の相関関係があるらしい。こういうケースでは、流行ものの犬種というのをつくらないことが大切だろう。たとえば小さければ飼いやすいと勘違いしてテリア種がブレークすれば、とうぜんながら飼いきれなくなる犬も増えてくる。テリアは決して楽に飼える犬種ではない。もともと気が強く、判断力があってしつけを入れるのに時間がかかるように作られた犬種だからだ。そういう基本的な情報を多くの人に広めるだけでも、たぶん状況は変わっていく。

ちなみに、管理人はべつにテリアが悪いといっているわけではない。じっさい管理人はテリア種がけっこう好きだし、飼えると思う人にはおもしろい犬なのだ。ただ、小さいから簡単に飼えると思ったら大まちがいだということは、なるべく多くの人に伝えておきたいな、と思うのだ。

では、いつこの国でノーキルが実現できるのか?

管理人の生きているあいだは無理だろうな、というのがじつは率直な感想だ。いまはまだ処分される犬猫をゼロにするには、全体の数が多すぎる。ペットブームのおかげでどんどん人気犬種が製造され売りさばかれている現状では、いくら捨てられた犬猫を救い出して飼い主を見つけたとしても、堂々巡りが続くだけだ。捨てられる動物に新しい家を見つけるのと平行して、捨てない飼い主を増やすこと、捨てられるであろう犬猫を増やさないこと、ペットの大量生産を止めさせることがきっと必要なのだと思う。

じゃあ、そのために何ができるだろうか?

管理人はとにかく情報発信をしていこうと思っている。ブログという形式だけにはこだわらず、周りの人に話すということも大切だと思うからだ。

管理人の周りでは、いまや「ペットショップで犬猫を買ったりしたら、奴にブーブー文句を言われる」と思われているのだが、ちなみにべつに管理人はペットショップでぜったい買うな、と言っているわけではない。たまたまペットショップ見かけたコと相性がバッチリで、一生そのコを大切に飼ってくれるというのなら、それはそれでかまわないと思う。逆に、可哀想だからと無理してあまり気にいらない犬猫を里親会でもらってきて、100%の愛情を注げないのだとしたら、どっちがいいのか、管理人としては首を傾げてしまうのだ。

だから、べつにペットショップで買いたいのなら買ってもいいと思っている。ただ、知っておいて欲しいのは、犬猫には繁殖期というものがあって、通常は春と秋に多くの子犬子猫が生まれるという事実である。ところがペットショップには年中人気種の子猫や子犬があふれている。真夏にみかんを売っている最近のスーパーどうように、年中品物を切らさないように子犬子猫を生産し続けるシステムが裏にあることは、できれば知っておいてもらいたい。犬猫はハウスでできるのか? 品種改良? 何でいつでも子犬や子猫がいるんだろう? そういう疑問は持って欲しいと思っている。ついでに言えば、子犬や子猫が賞味期限以内に売れなかったらどうなるか、大量生産の仕組みとしてそういうケースがどうなるかにも目を背けないで欲しいのだ。

管理人には子どもがいない。おまけに有名な子ども嫌いである。にもかかわらず、姫が来てからというもの、公園などで子どもに「あっ、ワンちゃんだ」と話しかけられたら、できるだけ愛想良く対応するように心がけている。むろん姫は子どもが大嫌いなので、近づきすぎると大変な騒ぎになるのだが、できるときには、なぜ姫が子ども嫌いなのか、きちんと説明するようにしている。姫が吠えるのは、恐ろしいからで、近づかなければ大丈夫だということも話して聞かせる。ついでに頭の上から手を出して撫でようとする子どもには、下から手を出すという正しい犬との挨拶のしかたも教えるようにしているのだ。

小さな子どもにそんなことを言っても意味はないかもしれないが、もしかすると大きくなって犬猫を飼おうと思ったとき、何かの役にたつかもしれない。気が遠くなるような地道な作業だが、それでも続けて損はないと管理人は思っている。

管理人の周りには子どもとレスキューされた動物を一緒に育てている友だちが多い。彼らの子どもを見ていて羨ましいな、と思うのは、その子たちにとって保護犬保護猫というのは特別の存在ではなく、日常生活に溶け込んでいることだ。彼らが大人になったとき、犬猫を飼おうと思ったら、おそらく当たり前のようにレスキューされた動物をオプションの中に加えることだろう。そういう人間が増えていけば、殺処分数は急激に減ることになるのだ。それどころか、そういう世の中になったならば、保護犬保護猫はほとんど見つからなくなって、1件の里親募集に何万件もの応募が殺到するような夢のような時代になるかもしれない。

そうなって初めて、ノーキルなのだ。社会を変えるには何世代もの時間がかかって当たり前だ。

先日、会社のオジサンが嬉しげに「新しい犬を飼った」と報告しに来た。以前ちょっとだけ記事にしたことのある、愛犬ダックスに噛まれまくっているオヤジである。

「へえ? 何を飼ったんですか?」

「ジャック・ラッセル・テリア」

「…………苦労しますよ。ご愁傷様です」

オヤジ、顔面蒼白……

管理人の広報活動もまだまだ足りないな、と反省した。せめて指が千切れるような大怪我をしないことを祈るばかりである。
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 00:21| Comment(5) | TrackBack(1) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

感情論

自分の都合のいいころだけを鵜呑みにして、声高に主張する人間は世のなかに山のようにいるものだ。今回の坂東 眞砂子のエッセイはまさにこれの典型だろう。だが、根本的にそういう人の意見というのは他人から見ると矛盾に満ちている。それを冷静に見て検証することは、同じような誤解に基づいた行動をとっている人をいさめるためにも必要だ。

今回の騒動を見ていて、管理人はもったいないことを、とつくづく思った。少なくともこの記事は、社会に波紋を投げかけた。新聞というメディアを通して広く世間に対してペットを飼う責任について問題提起をしていると管理人は思うのだ。にもかかわらず、世間の反応は驚くほど感情的なものだった。

きのうの記事にも書いたように、管理人も坂東氏の行動には眉をひそめるひとりだが、
「鬼ババア、死ね!」

「自分が崖から落ちればいい!」

「子猫と同じように苦しんで死ね」

と書き連ねられた掲示板やサイトを見て暗澹たる気持ちになったのだ。不妊手術の履行や殺処分の問題は、単純な勧善懲悪のシナリオで解決できるものではない。感情論だけで片づけられるものでもない。そんな単純なことならば、とっくにノーキルが実現できているはずだ。

これはほんとうに「ババア、死ね」と言って済む問題なのか? 坂東 眞砂子という一個人を責めればすべてが丸く収まるのか? 

管理人はそうは思わない。

坂東氏に罰が当たって不幸な目に遭えば、それはそれで溜飲は下がるかもしれないが、けっきょく社会は何も変わらない。なぜなら、勝手な理論でペットの生殖をコントロールせず、生まれてきた命を処分する人間は坂東氏ひとりではないからだ。

ネットで検索できる「行政による犬猫引き取り処分」の統計資料によると、2003年の殺処分数は犬173,032頭に対し猫は267,214匹となっている。日本には狂犬病予防法という法律があるため、これに基づいて野良犬は行政が捕獲する義務がある。ところが猫の場合にはこの対象にはならない。つまり、1年間に処分される26万匹あまりのすべての猫が飼い主または他の人間による「持ち込み」と推測しても、おそらくまちがいではないだろう。犬の処分数は年々少しずつでも減っている。だが、猫の処分数は横ばいだ。

生まれた猫を殺している人間は坂東 眞砂子だけではないのだ。仮にひとりが5匹ずつ持ち込んだとしても5万3千人の人間が毎年猫を殺しに持ってくることになる。ひとりが10匹ずつ持ち込むとしても、のべ2万7千人ちかくもそういう人間がいることになるのだ。これが毎年繰りかえされる。そのうえ、これはセンターで処分された数だけだ。手を下すのは忍びない、と箱に入れられ、どこかの公園や河原に捨てられる子猫の数を足したなら、その数は膨大なものになるだろう。

それを考えると、遠いタヒチ住む単なる一個人が猫を崖から落としていようがいまいが、そんなことはどうでもいいという気分になる。それより自分の税金を使って、もしかすると隣の人が毎年猫を殺しているかもしれないほうが、もっと問題なんじゃないかって気分になる。

現在日本で行われている殺処分の方法は、崖から投げ捨てるのと五十歩百歩の非人道的なやりかただ(殺処分の現状について知りたい方はこちらこちらを)。残念ながらこの国でノーキルを実現できるのはまだまだ先のことだろうが、少なくとも処分方法をもう少しマシなやりかたに変えることは可能なはずだ。たとえば、殺処分方法の見直しを訴える電子署名を集めているサイトに登録するだけでも、状況を変える手助けはできる。

「子猫が可哀想」

「鬼ババア、死ね!」

と騒ぐのは、管理人にとって、一時の感情だけに突き動かされた憂さ晴らしの行為程度にしか映らない。ネットという無記名の世界で、見ず知らずの他人を罵ることはたやすいことだが、生まれたての子猫をセンターに持ち込んだり、河原に捨てる近所の人をあなたは「鬼だ、悪魔だ!」と指をさして罵れますか?

それができる人間が増えていけば、きっと捨てられる犬猫は減っていく。飼育放棄した飼い主が村八分になるような世の中になれば、望まれない命を増やさぬよう、みんなが必死になって努力するようになるだろう。だが2チャンネルやお友だちサイトで「鬼ババア、死ね!」「そうだ、そうだ」とやっていても社会は何も変わらない。

そんな暇があるのなら、署名運動をやったほうがいい。日経社に「なんであんな記事を載せたんだ!」とクレームをつけるパワーがあるなら、そのエネルギーを、どうしたらそういう不幸な動物を減らしていけるか考えて行動するほうに回した方がよっぽど世のため人のためになる。目も開かないうちに崖から落とされる子猫はたしかに哀れだが、この国では毎日同じように苦しみながら死んでいく動物たちがあとを絶たない。そしてほとんどの人はペットブームの裏側にあるその事実さえ知らないのだ。そういう話を周りの人にして回るだけでも、少しずつ状況は変わっていく。

感情論だけでは、社会を変えることなどできない。子猫が可哀想だからこういうことをすべきでないという議論は、あくまで可哀想と感じる人々だけの狭い小さな世界での正論だ。坂東氏の行いを悪と決めつけるのは簡単だが、それだけでは何も変わらない。

この記事によって、彼女が社会的制裁を受けるのなら、それはそれでよいだろう。動物を虐待する人間は社会が許さないというメッセージを同じような振る舞いをする人間に送ることができるからだ。だが、「鬼ババア、死ね!」とヒステリックに叫ぶことで、それが実現できますか? 却っていたずらにこの件を扱うことで、彼女の知名度を上げていることになりませんか?

けっきょく仲間うちで「鬼ババア、死ね!」と叫ぶことは、坂東氏の主張と同じなのだ。子猫が可哀想という思いを共有できない人たちの目から見れば、自分の都合のいいころだけを鵜呑みにして、声高に主張する人間の戯言としか映らない。

再三書いているように、管理人は彼女の行いを由としているわけではない。だが、少なくとも自分の手を汚して動物を処分しているぶん、数千円の金を払って他人に殺させている数万の無責任な飼い主よりはいくらかマシかもしれないとすら思うのだ。問題はタヒチで子猫を投げ捨てている一個人ではない。その陰に隠れて見えない多くの無名の人間なのだ。

人は神ではない。
他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

坂東氏は誤解を元にまちがった選択肢を選んでしまったのだと、管理人は思っている。そして多くの人がどうように、知らないがゆえに誤った判断を下している。

そういう人がひとりでも減るように、飼育放棄されて苦しみながら死んでいく動物たちが少しでも減るように、情報を発信することは多くの人にできることだ。ブログを通じて、会話を通して……

「鬼ババア、死ね!」と叫ぶ前に、そこのところを考えて欲しい。そうすることで、きっといつかは社会も変わっていくはずなのだから。
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 00:09| Comment(8) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

誤解

18日の日経新聞に載った、作家坂東 眞砂子のエッセイが波紋を呼んでいる。飼い猫に不妊手術をしたくないために、生まれてくる子猫を崖から投げ落として処分しているという内容だ(全文はこちら)。

動物を愛し、ペットを飼う人間としては、誰もが眉をひそめる内容だ。

不妊手術を否定することはべつに個人の自由だしかまわないと思うのだが、だからといって、自由に産ませて生まれたら殺すというのは、あまりにも乱暴なやりかただ。

彼女は、
避妊手術を、まず考えた。
しかし、どうも決心がつかない。
獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。

と書いているが、ここに根本的な勘違いがあるような気がする。

動物にとっての「生」は
盛りのついた時にセックスして、子供を産むこと

ではなく種の保存という本能、つまり自分の子孫を残すことだろう。

子孫を残したいと思うから、雌は辛い思いをしても出産するのだ。それを産まれたそばから殺すのでは何の意味もないはずだ。人間のセックスと動物の交尾は基本的な意味が違う。そこのところはき違えて妙な誤解をしているところが、彼女の根本的な愚かさだ。

ついでにいえば、ほんとうに自分の飼っている猫を愛しているのだとしたら、盛りがつくたびに出産させるのもおかしいのではないか。出産というのは動物だって母胎にそうとうの負荷がかかる。むろん、自然のままに生かすためには寿命が短くなってもかまわない、というのならそれは飼い主の自由だが、長く手元に置いて可愛がってやりたいと思うのなら、ペットの生殖をコントロールするのはとうぜんだろう。

彼女はまた、不妊手術について
社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。
私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。

とも書いているが、人道的な見地から見て子猫を崖から投げ落とすというのは、決して褒められた行為ではないだろう。同じ殺すのであれば、薬による安楽死という手段がある。生まれたばかりの子猫であれば、口と鼻を塞ぐだけでいとも簡単に命を絶つことはできるはずだし、一瞬で済ませるために首をひねるという方法をとる専門家もいる。それをなぜわざわざ崖から投げ落とすのか。そしてその行為を繰りかえすことに、異常さを感じるのはおそらく管理人だけではないだろう。

不妊手術と子猫殺しが同じかどうか、一見同じに見えるとしても、それは根本的にちがうと思う。望まれない子を残さないのは飼い主として社会的責任のとりかたかもしれないが、愛猫の身体に負担をかけ、出産させて子猫を殺すという行為を繰りかえすところにどんな意味があるのか説明して欲しい。けっきょく根本的な誤解に根ざしたまちがった行いとしか、管理人には見えないのだ。

猫はセックスを楽しんでいるわけでもなければ、出産したいわけでもない。自分の子孫を残したいだけなのだ。そういう動物の「生」を大切にしたいのなら、生まれた子猫をすべて飼い続けるのがほんらいだろう。それを次から次へと殺してしまうのでは本末転倒もいいところだ。

だが、彼女の言っていることにも一理ある。
飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
しかし、それは飼い主の都合でもある。

<中略>

避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。

不妊手術が癌などの病気予防に役立つのは事実だが、基本的にペットに不妊手術を施すことは飼い主の都合に他ならない。だから、病気でもないのにペットの身体にメスを入れたくない、と考える飼い主がいてもとうぜんだし、必ずしも不妊手術をしなくてはならない、とは管理人も思っていない。

だが、以前の記事でも書いたように、ペットの生殖を不妊手術という形でコントロールしないのなら、そのぶん管理責任が重くのしかかってくる。生まれてきた子猫や子犬をすべて飼ってやれないのなら、またはきちんと面倒を見てくれる飼い主を見つけてやれないのなら、交尾させない、産ませないという選択をせざるを得ない。繁殖期の動物をコントロールするのは決してたやすいことではない。

うちの姫は心臓に疾患があるために、麻酔のリスクが非常に高くなる。だから不妊手術をしていない。犬猫屋敷ではヒートのたびに厳戒態勢がとられるのだ。万が一にもその時期姫が逃げだしたりしたら、望まれない子犬が産まれるだけではなく、出産の負担で姫自身の命も危なくなるからだ。

ヒートの時の緊張感を考えると、できることなら不妊手術をしてしまいたい、と管理人は思っている。姫は決してそれを望んでいるわけではないだろう。これは単なる飼い主の都合なのだ。

動物にも権利があると、管理人は思っている。そのなかの子孫を残す権利を飼い主の都合で奪ってしまっていいものなのか? それは議論が分かれるところだろう。ただ犬猫が、もはや自ら餌をとって生きていく野生動物ではなく家畜になってしまっている以上、飼い主である人間が何らかの形で数をコントロールするのはやむを得ない。

犬猫を殺すというと、それだけで「酷い」と思うかもしれないが、じっさいに自然界では、育たないと判断した弱い子どもを親が自分の手で殺すこともある。たとえば、生まれてきた中で一番弱くて小さなコに親が餌をやらないなどということもあたりまえなのだ。弱い個体を犠牲にしても、自分の子孫を残すのは、厳しい自然の中で生きていかねばならない野生動物のサバイバル本能だ。自然界では生と死はいつも隣り合わせにあるものだ。家畜である犬や猫を自然のままに飼っていきたいというのなら、そういう厳しい一面からも目を背けてはいけないのだ。

(あしたに続く)
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

ペットが欲しい

と、うちのペットが思っているかどうかは知らないが、一時期、カイが散歩の途中で必ず立ちよる場所があった。


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いつもこんな感じで伸び上がって他人のお宅を覗いてみる


おそらく、親を亡くしたヒナ鳥を保護したのだと思うのだが、このお宅の玄関先には大きなケージがおいてあり、そのなかに小さな鴨が2羽飼育されていたのである。

最初、ピヨピヨという鳴き声に気がついて、覗いてみたらヒナ鳥がいた。一度見ただけでカイは虜になったようで、それから毎日朝夕散歩のたびに鴨さんチェックが欠かせなくなったのだ。

ちなみに、姫もそこに鴨がいることはむろん知っているのだが、一度覗き込んでそれが生きた子鴨だと判ったとたん、まったく興味を削がれたようでその後は無視して通り過ぎるようになった。ケージに入っているのが鴨肉のソテーや鴨南蛮や鴨ステーキならば、おそらく、奴は毎日そこを覗き込んでは涎をたらして大声で歌い続けるはずなのだが、何しろ犬のくせに生肉も食べられない柔な現代犬の姫ちゃんである。ピヨピヨいっている小ガモは餌にはなりえない。ゆえに食べられないものに興味はないという姫なりのじつにシンプルな三段論法が成立するのである。

それに対して、カイの場合は純粋に小ガモの成長ぶりにすっかり魅せられていたようだ。放っておくと何時間でもケージを覗き込んで観察を続けかねない勢いなのだ。

「可愛いです、鴨さん。ボクもああいうペット飼いたいです」

自分自身がすでにペットであるという事実はすっかり忘れ去られているようだ。だが、考えてみれば、犬猫屋敷ではチビ姐さんも自分は犬を飼っていると思いこんでいるようなので、ペットがペットを飼ってもべつにかまわないのかもしれない。

「管理人さん、ボクもペットが欲しいです。ぜったい、ちゃんと世話しますから、小ガモさん飼っちゃダメですか?」

んなこと言ったって、けっきょくは管理人が世話することになるのだから、そう簡単に管理人がうんと言うわけないだろうが……

ところがある日、いつものように小ガモのケージを覗いてみたら、そこには誰もいなかった。

「鴨さん……いなくなっちゃった犬(泣)

前の日に見たとき、すでに成鳥と変わらない大きさにまでなっていたので、おそらく自然に返したのだろう。だが、カイにはそんなことは判らない。いきなりいなくなってしまった疑似ペットの鴨にすっかり肩を落とす我が愛犬なのだ。

大丈夫だよ、カイ、たぶん鴨さんたちは仲間のところに帰ったんだよ。たぶんね。たぶん……
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 10:12| Comment(4) | TrackBack(0) | カイザー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

発想の転換

出入り業者の越後屋に注文しておいた首輪とリードセットが届いて、そろそろ1ヶ月になろうとしている。ふつうなら、届いたらすぐに「見て、見て」とばかりに自慢するところなのだが、首輪とリードというのは愛犬の安全を守るいわば命綱のようなものなので、ここを見に来てくれる皆さんに、越後屋の首輪とリードは可愛いだけじゃなく、ぜったい安全!と自信を持ってお薦めするには、やはりある程度使ってみないとダメだろうと思い、自分の犬を実験台に、約一ヶ月、さまざまな状況でテストを繰りかえしてみた。

今回、我が家で購入したのは、こちらである下

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買った首輪をぜんぶつけて、首長族になっている姫さま


今回は、夏らしいポップなデザインのものを2点と、スタンダードにいつでも使えるものを2点購入してみた。反物を持ってこさせ、あててみて注文しただけあって、どれもとってもお似合いであるわーい(嬉しい顔)

とくに姫に作ってやったオレンジドットのド派手な首輪セットは、おそらく姫以上に似合う犬はいないだろう。

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妹に言わせると

「目の覚めるような派手なビキニを着ていて、けっこうスタイルもいいので、おおっ、って声かけてみたら、振り向いたらビックリ……みたいな感じ?」

褒めているのかどうか、首を傾げたくなるところだが、ともかく、オレンジドットのイグアナとカラフルストライプのイベリコ豚のコンビは、近所でも評判の派手なおっちゃんとおばちゃんになっている。

越後屋の作った首輪セットは、冗談ぬきでめちゃくちゃ軽い。素材がコットン主体でいままで使っていたナイロンと比べてもじゃっかん軽いのに加えて、スチールの代わりにステンレスの金具を使っているせいで、手で持っただけで即座に判るほど重量がちがう。いままで使っていたものに比べると、ちょっと華奢に見えるリードは、束ねて持ってもコンパクトにまとまるので、複数のリードを操らなくてはならない多頭飼いの身としては、とてもありがたい。

これだけ軽ければ、犬にとって負担にならないのは明白だ。いままで履いていたゴツイ安全靴を脱ぎ捨てて、ビーサンに履きかえたような感じである。じっさいこの首輪セットを使うようになってから、犬たちの散歩の足どりも軽くなった。

ただ、引っぱり癖のあるデカ犬飼いとしては、いっけん華奢に見える金具でほんとうに大丈夫なのか? というのが一番心配な点だろう。とくに体重の軽い姫の場合はシングルDカンで作ってもらったので、イグアナ変身時に保つのか?というのが最大の関心事だった。

で、1ヶ月使ってみての結論……

以前のゴツイ首輪と比べても、なにひとつ問題はありませんでした。あいかわらずデカ犬コンビは猫を見つけては追っかけ、臭いの元にロックオンしてはハンドラーを引きずって歩きまわっているが、越後屋製の首輪セットはびくともせずに丈夫そのもの。どうしても強度に不安がある人は、カイが使っているようなハーフチョークかダブルDカンのものを選ぶとより安心だ。ダブルDカンにしておけば、ふつうのバックルタイプのシングルDカンのものとちがって、万が一何かの弾みでバックルがはじけたときも、リードが外れない構造になっている。

だいたい、長年の犬飼い経験から、首輪やリードが切れたり金具が壊れるという事故はほぼ皆無であることは判っていた。じっさい20年弱の犬との生活のなかで、ほんとうに金具部分が壊れたのは、後にも先にも一度きり、それも耐久重量を超えたツインリードを長年使っていて、リードをつなぐ接合部分の金属が摩耗してパコンと外れてしまったときだけだ。それは金具の問題というよりもメンテナンスの失敗である。

ついでに言えば、越後屋という奴は、何においてもちゃらんぽらんで、至極いい加減な奴なのだが、こと犬の安全や健康に関しては、管理人より慎重でぜったいにそこで手を抜くことはありえない。第一、管理人を含めて最初に強度テストのモニターを依頼した相手が、仲のいい犬友と越後屋が死ぬほど怖がっている姉たちの犬という点からも、安全性に手を抜く隙を与えない。万が一、越後屋製の首輪が壊れて愛犬が事故にあったりしたならば、奴は一生地獄の苦しみを味わうことになるし、第一自分が可愛がっていた馴染みの犬が自分のせいで傷ついたと知ったら、ショックで一生立ち直れないような人間なのだ。

だから見知らぬ他人が作ったゴツイ金具つきの首輪よりも、越後屋製の首輪のほうがぜったい安全だと、管理人は思っている。コストを下げなくてはならないときでも、安全性を犠牲にすることはありえないとちゃんと知っているからだ。

ただし、越後屋製の首輪は一生ものにはなりえない。表地がコットンなのである程度使えば、布地がダメになってしまうし、金具もその耐久時間にあわせたものを使っている。定期的に買い換えて、それこそ、その日の気分しだいでちがう首輪を使うような、そういう使い方に向いているし、価格もそういう飼い主の負担にならない額に設定されている。

首輪やリードが切れるという事故の多くは、じつは耐久性ではなくメンテナンスの問題なのだ。たとえば姫のように常時首輪をつけている犬だと、ついついチェックもせずにリードをつないでそのまま散歩に出かけるということがよくある。それなりの耐久性がある首輪がある時とつぜんバチンと切れるなんてことは、じっさいにはありえない。一部に裂け目ができていたり、力のかかる一部だけが摩耗していることに飼い主が気づかずに、それが限界に達した瞬間バチンと壊れてしまうのだ。

その点、毎日首輪とリードを選んでつけ直していれば、自然と裂け目や弱っている部分がないかちゃんとチェックする習慣がつく。ちょっとでも問題があるところを見つけたら、さっさと捨てて次の首輪を買えばいいと思える価格設定なら、危険な犬具を騙し騙し使うようなこともなくなるだろう。

また首輪というのは常時つけていると知らず知らずのうちに緩んでくるものだ。定期的にサイズを合わせて調整すればいいのだが、それを怠ると、ある日ちょっとしたときにスポンと首輪が抜けてしまうなんていう事故が起こりかねない。常時首輪をさせていると、ついついそのチェックが甘くなる。素材によっては湿度や気温によっても緩みが大きくなるし、その点毎日首輪をつけかえれば、自然とそういうチェックも忘れずにできるようになる。

首輪やリードというのは、ほんらい消耗品なのだ。にもかかわらず欧米に比べると高価な値段で売られているために(管理人が定期的にグッズを買うアメリカのサイトだと、大型犬用のナイロン首輪は数百円で買えるのだ)ひとつ買ったらなかなか買い換えることをしなくなる。長く使うと思えば、金具類はゴツイものを使わざるをえない。ゆえに犬に負担がかかる重くてゴツイ犬具を使う人が多くなる。

これはたぶん、犬にとってはちょっと迷惑な悪循環だ。首輪をTシャツ感覚で気軽に替えて楽しむという発想は、犬にとっても飼い主にとっても良いことずくめの革命なのだ。

とくに、以前の記事に書いたように、小型犬用マーケットが主力のこの国では、犬が大きくなればなるほどお金がかかるようにできている。だから、首輪やリードをいろいろ替えておしゃれを楽しむことは、中型サイズ以上の犬を飼っているごくごく一般的な飼い主さんにはなかなか思いつかない発想だった。だからこそ、犬猫屋敷どうよう大型犬を飼っていて、なおかつ犬に湯水のように金をかけられるというわけではない、ごくごくふつうの一般人の飼い主さんにこそ、越後屋製の首輪セットは是非使ってみて欲しいな、と管理人は考えている。色とりどりの首輪をして、ルンルン気分で散歩に行けば、義務になってしまっている散歩だってじつはとっても楽しくなる。ときには犬を連れてお出かけなんかもしたくなる。

そういうちょっとした発想の転換で、平凡な犬飼い生活だってものすごく楽しいものに変わるのだ。そのうえ、ちょっとした不注意から起こる不慮の事故を防ぐ効果もあるのだから、一石二鳥だと管理人は思うのだ。

カラフルな首輪をTシャツ感覚で……

地獄の暑さが過ぎれば、犬を連れての外出も楽な秋がやってくる。秋の行楽シーズンに備えて、あなたもさっそくひとつ作ってみませんか?


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管理人一押しの魚偏の漢字首輪着用中のカイさん

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 11:28| Comment(7) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

おかん

妹も管理人も仕事が休みだったので、犬猫人間の餌を買い出しにコストコに行った。

ちょうど帰りの高速を降りたところで5時ちょっと過ぎになったので、途中で祖母の家に寄ってバァバを拾っていくことにした。

「いま高速の出口なんだけど、お迎えいる?」

「あら、うれしいわ」

「じゃあ、15分くらいで着くからすぐ出られるよう準備して待ってて」

「はぁ〜い」

年老いた親を迎えに行く、なんと心優しい娘たちだろうか。だが、目頭が熱くなるような、こんな親孝行話の美談ですら、犬猫屋敷ではネタになってしまうのだ。

うちのジィジ・バァバは車に乗るとハイになる。まるで犬たちが、車のエンジンをかけたとたんに意味もなくガレージの周りを走りまわるのと同じように、車でお出かけが大好きなのだ。それがたまたま所要時間30分足らずの祖母の家からの帰り道であってもその興奮は変わらない。ゆえに、車に乗り込んだとたん、バァバは弾丸のようにしゃべりだす。

「迎えに来てくれてよかったわぁ〜あんまり暑いからどうしようかって思って、もう少し経ってから帰ろうかなってもたもたしてたのね。5時に出てたら行き違いになってたわね。ほんとうによかった。だってあんまり暑いから…………」

堂々巡りしてまっせ!

犬たちの場合、いくらハイになったとしても、車の中で大声を張り上げて吠えたり騒いだりは決してしない。パピーの頃からそういうことはしてはいけない、とちゃんと教えているからだ。だが、バァバの電撃トークを止められる者はいない。「う〜」とか「あ〜」とか適当にあいづちを打っているかぎりバァバは永遠に話し続ける。

きょう祖母の家であったこと。

祖母の家で聞いてきた、親戚の皆さんの近況。

コストコで何を買ってきたかの確認。

家の戸締まり、火の元の確認はきちんとしたか、の注意。

それから……それから……

この人は、いつ息継ぎをしているのだろうか? 血のつながった親ながらエイリアンに見えてくる。

途中、通勤帰りの車のプチ渋滞に遭遇した。さっそくバァバは後部座席から身を乗り出し、抜け道の道案内をはじめた。

「次を右、その先左……あれ?」

わからないなら、教えるな! おかげで遠回りになったじゃないか!?

でもバァバは参加したいのだ。運転手の妹とナビの管理人の会話になんとか食い込もうと必死になる。

「あっ! 危ない、気をつけて」

「なにが?!」

「前から車が来てる!」

運転手が前は見ている……少なくとも……あんたが心配することじゃない。かえって危ない!の声でビックリして事故るじゃないか、止めてくれ。

「あっ、気をつけて!」

「こんどはなに!?」

「うしろからトラックが来てる」

「だから?」

「トラックって大きいから、ふつうの車にぶつけても何とも思わないのよ。だからトラックの前を走っちゃダメ!」

それは、ものすごぉ〜い偏見だと思う。どんなに相手が小さな車でも、やっぱりぶつかったら気づくだろう。だいたい、追い越しもできないこんな細い道でそんなこと言われても、いったいどーしろっていうんじゃい!

バァバに言わせると、世の中は危険に満ちあふれている。バァバの持論によれば、雨の日や夜は車に乗ってはいけないのである。

「暗かったりすると前がよく見えないから、危ないのよ!」

ちなみにピカ天の日も日差しがまぶしくて前が良く見えないので非常に危ないらしい。そうなるといったいいつ車に乗ったらいいのやら? 車を所持していることじたい非常に無駄な気もしてくる。

それでも、バァバは車でお出かけが何より好きだ。だから車に乗るとハイになる。

ようやく家にたどりつき、大騒ぎしながら買ってきたものをすべて家に運び込んだあと、ガレージに車を入れようとした妹がぽつりとつぶやいた。

「あのトークのパワーをエネルギーに替えられたら、究極のエコになる」

仰るとおりでございます。片道1時間のコストコまでの往復よりも、最後の30分で異常に疲れたほどのあのパワーである。あれを石油に変わる代替エネルギーとして利用できないのは、まったくもって残念なことだ。

以前ふと目にしたメルマガの記事を思いだした。どこの家でもおかんは一緒で、弾丸トークで家族を呆れさせるのだ。

そこに愛があるから? たしかにそうかもしれないが、時として無駄吠え防止首輪をつけてみたいと思う管理人はやっぱり親不孝な人間なのかもしれない。
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 00:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

BGM

人も犬、個体によって動きに特徴がある。

と管理人は常々思っている。たとえば、ものすごくせっかちな人と逆におっとりした人では、同じ動作をするのでもぜんぜんちがって見えるように、つねにちょこまか動き回っている姫と何をやるにものんびりペースのカイでは、まさか同じことをやっているとは、とうてい思えないほどその動作の印象がちがうのである。

餌を食べているとき……

散歩に行くとき……

つねにビデオを早回ししているようなチャカチャカした動きの姫と、逆に早回ししてようやくふつうの犬の動きに見えるようなカイとでは、同じ犬とはいっても天と地ほどの差がある。

だから、カイはしょっちゅう姫に踏まれ、突きとばされることになる。

たとえば、管理人が部屋に戻ってくると、そこにカイがニコニコ笑いながらオスワリして迎えに出ている。管理人に褒めてもらって、撫でてもらおうとちょっと頭を下げながら管理人に近寄ろうとした瞬間、どこからともなく姫が走ってきて、カイを突きとばして管理人が撫でようとした手の下に頭をきっちり押し込むのである。姫はそのときカイの尻尾の上にあたりまえのように座っている。

「尻尾踏まれちゃった……痛い(涙)」 

毎度のことなのだから、避ければいいと思うのだが、カイの感覚では超音速で移動する姫の攻撃を避けることなどほぼ不可能なのだ。

姫の動きを見ているとき、管理人の頭の中では、つねに♪剣の舞♪のメロディーがBGMとして流れている。管理人のなかでカイ用のBGMは。 ♪コガネムシは金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた・・・♪という、あの童謡だ。

そういえば、コガネムシの曲の歌詞を確認するためネットで検索して初めて知ったのだが、野口雨情はゴキブリのことをコガネムシと呼んで、あの詩を書いたのだそうな。

カイちゃん用のBGM、変更したほうがいいかも……知らんでいいことを知ってちょっと落ち込む管理人である。

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ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 12:40| Comment(7) | TrackBack(0) | うちのコたちの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月20日

かんしゃく

きのうのジュニが来た話のつづきだが……

猫を見たとき、どういう反応を示すかは、個体によってちがいがある。カイはじっと子猫を見つめ少しずつケージににじり寄っていき、ときどき近づき過ぎて鼻面に爪を立てられ、シャーと威嚇されて2歩下がるなんてことを延々続けていたのだが、姫の場合はカイに比べるとこらえ性がない。おまけに興奮すると絶叫する癖はあいかわらずなので、思いきりジュニに嫌われて、ほとんどケージのそばに近寄ることもできなかった。

そうなると、姫はとてもストレスを溜める。目の前に欲しいものがあって、それが手に入らないと判って、床に寝ころび足をバタバタさせるおもちゃ売り場の子どもと一緒で、かんしゃくを起こして絶叫マシンと化し、ついには抗議行動に出るのである。

姫の場合は、その抗議行動がお漏らしという形になる。

これは管理人が約2年姫と一緒に暮らしてみて、ようやく判ったことなのだ。犬も気に入らないことがあれば、抗議行動に出るし、嫌がらせだってちゃんとやる。3ヶ月あまり、ほとんどトイレの失敗なしで来た割に、今回久しぶりに姫はトイレ以外の場所でシッコをたれまくったのである。

一昨日の記事で書いたように、姫のお漏らしの原因のひとつは、発作の際の失禁だ。そのほかに、トイレに駆け込むのが間に合わなくてその場でジャーッという失敗もやっていた。とくに冬場、気温が下がってくると多い現象だったので、これに関しては、室温を上げたり、服を着せることによってこの冬かなり改善することができた。もうひとつ、純粋なマーキングというのもあるのだが、これについては、姫がテリトリーを侵されるという脅威を感じるような大型のメス犬が来たときのみと決まっているので、そのときだけ注意しておけばたいした問題にはならない。

管理人の考えでは、姫のお漏らし問題で最大の難関は、今回のような抗議シッコという奴なのだ。自分の思い通りにならないことから、かんしゃくを起こしてお漏らしする場合、直前にトイレで排泄させておいても効果はない。完全に膀胱を空にしておかないかぎり、奴はとんでもないところでジャーとやってしまう。たとえば、ツチノコ兄弟だけ○○させてもらえて、姫はダメなどといわれると、とたんにその場で水たまりを作る。我が家に来た当初はこれがあまりに頻繁だったので管理人は頭を抱えた。

姫はトイレの位置を最初の日からちゃんと認識していたのである。にもかかわらずとんでもない所でお漏らしする理由が、管理人には当初どうしても理解できなかった。

たとえば、それがマーキングであれば、毎回臭いがついた同じ場所でやるはずだ。ところが位置はそのときによってさまざまだった。尿意が我慢できないような時間帯だけではなく、散歩から帰ってすぐにやることもあったのだ。いったい何が姫にそうさせるのか。姫がお漏らしをした前後の状況を考えることで、ようやくそれがかんしゃくを起こしたときの抗議シッコだということに気づいたのである。

理由はわかっても、いまだに抗議シッコを完全に止めさせるまでには至っていない。きのうのように新たな状況下で姫がキーッとなるような事態が起これば、やっぱり姫はかんしゃくを起こしてその場でシッコをたれるのだ。だが、よくあるケースに関しては、時間をかければ抗議シッコを止めさせることはできる。

たとえば、いまだに姫はお茶の間だけは入ってはいけないことになっているのだが(茶の間の畳に歴代の犬たちがお粗相をしているため、マーキングする可能性が高いせい)ツチノコたちが茶の間に入っていても、姫がキーッとならないように、管理人と一緒にキッチンにいるほうがよいことが起こるということを時間をかけて教えていった。姫だけキッチンに残されたときは、それ相応の報酬が振る舞われる。料理をしている管理人から肉の端きれをちょうだいしたり、チーズを少し口に入れてもらえたり、茶の間に入るよりも、ここにいたほうが得だぞ、と姫に思わせることで、自分だけが○○させてもらえない、という被害者意識を○○できてラッキーという肯定的な意識に替えてやり、かんしゃくを起こす回数を減らしていった。

たかがトイレの失敗といっても、理由はさまざまだ。なかには、姫のように複合的な理由で失敗を繰りかえすコもいるだろう。むろん、粗相をしていはいけない、と教えることは大切だが、たとえば姫のように持病が原因で不可抗力のお漏らしをしてしまうケースに対しても一律に叱って済むことかというと、管理人は疑問に思う。たとえば寒い時期に失敗が頻発するのであれば、膀胱炎の可能性も疑ってみたほうがいい。つねにお漏らし=叱るという方法をとった場合、トイレ以外で漏らしてはいけない、ということは教えられるが、犬の立場になってみると、ちと理不尽な気もしないではないのだ。人間だって、具合が悪くてお漏らししてしまうことってきっとある。判っていても出てしまうというのは、犬にとってもきっと不快な体験なのだ。

だから、犬猫屋敷では姫が発作のときに漏らした場合、それはべつに粗相にはあたらない。床を拭いて掃除をするのは一緒だが、姫に話しかけながら、管理人はべつに怒っているわけではないということをきちんと形で表明する。逆に抗議シッコをした場合は、目一杯遺憾の意を表明する。

きのうも管理人が床掃除をしている間、姫は完全に無視され、その後管理人がドアをガチャンと閉めて部屋を出て行ってしまったあと、姫はひとしきり部屋で反省させられたのである。

抗議シッコをするしないは、姫の自由意志なのだ。だから、姫が抗議シッコをするのは得策ではないと自ら悟った時点で、姫のお漏らし癖という問題行動は完全になくなる、と管理人は信じている。

トイレの失敗というのは、些細な問題なのだが、じつは飼い主を悩ませる問題行動のひとつである。じっさい、管理人も疲れて帰ってきてまず姫の粗相の後始末をする生活には、正直疲れ果ててしまった。姫がこのせいで捨てられたかどうかは、管理人にも判らないが、それでも姫が飼い主を失った理由の一端はきっとこんなところにあったのではないか、と管理人は考えている。

でも、直せるんだよ。成犬で、トイレのしつけができていないときたら、たいていの人はもう直らないと思いこむが、時間をかければどんなことだって直せるのだ。問題行動と一口にいっても、じつは理由も原因も対処法もさまざまだ。姫のトイレ問題のように、複合的な要因がある場合には、ひとつひとつ問題をつぶしていかなくてはならなくなるし、それぞれに正解を探すまでに膨大な時間がかかる場合も多いのだが、それでも諦めずに地道に対処していけばぜったいにいつかは直せる

それを知っている人が増えるだけで、きっと捨てられる犬の何割かは助けられるんじゃないだろうか? そんな風に思いをめぐらせる管理人なのだ。

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ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月19日

凝視

近ごろ犬猫屋敷は出入り業者が行商の帰りによる峠の茶屋になっている。何しろ、犬連れで何時間でも粘れる深夜営業のドッグカフェは、なかなか世間ではお目にかかれないからだ。

長年のつきあいで、管理人の安眠を妨害しないかぎり、何時に来て何時までいても、管理人および家人がぜんぜん気にしないのを知っているため、最近は他人の都合もお構いなしで、いきなり当日「いまから行く」なんてことも平気でやるようになった。管理人のほうも、これまたいたって平気な顔で、その辺に下がっているパンツやら下着などの洗濯物だけ見えないところに避難させればすべて準備完了である。

何しろ、最初にうちに来たときが、仕事で1ヶ月缶詰のあとぎっくり腰になって掃除どころか歩くのもやっとという最低最悪の状況だったので、それに比べればいまの部屋はいたって美しいものなのである。だいたい、これだけ何度も来ていても、未だかつて、その後具合が悪くなったという話は聞かないので、おそらく犬部屋に巣くっている菌にはすべて耐性があると判断するにはじゅうぶんだ。そんな奴のために、わざわざ掃除するのは時間の無駄だ。

管理人は無駄なことが大嫌いなのである。

ちなみに、家人もいまや越後屋とポセのコンビをお客とはみなしていない。だいたい、他人の家に来て、さっさと自分でスリッパをとって履くような奴は、いいとこ良く来る親戚のオヤジ程度のステータスに成り下がるのである。ゆえに、お客さま用のピカピカのグラスも、金縁の皿も越後屋に出されることはまずありえない。

「なんか、飲み物が出てきても、いつもその辺にあるようなマグカップなわけね」

「あんたんちに行ったとき、喉が乾いたっていったら、子供用のコップに水道の水が出てきたじゃないの。うちはまだペットボトルから注いでるぶんマシだと思いなさいよね」

ちなみに、犬猫屋敷でお客さんと言った場合、通常四つ脚がメインなので、飼い主のほうはあくまでも犬の同行者という扱いしか受けない。

「きょう、客来るから」

「誰?」

「ポセ」

「あっそ。ポセちゃん来るんだ。楽しみ!」

これは、もう一頭の隠し子サクラの場合も同様である。サクラが独りで来るわけはないので、もれなくサクラ母がついてくるわけだが、誰ひとりとしてサクラ母が泊まりに来るという奴はいない。ちなみに家人はサクラやポセの飼い主の名前も知らない。彼らは我が家の人間にとってはサクラやポセの飼い主であって、それ以外の何者にもなりえないのである。

で、きのうもそんなこんなで越後屋がふらりとやってきた。ちょっと受け渡ししなくてはならないグッズがあったので、当初宅急便で送ることを考えたのだが、けっきょくわざわざ山を下りて下界までとりに来てくれるという話になったので、ついでに注文していたものも持ってきてもらうことにした。いまや犬猫屋敷はShy Dog最大のお得意さまである。お客さまのニーズにあわせたサービスを提供するのは、商売成功の秘訣なのだ。

ガソリン代が高い昨今、山奥から都会まで出てくる手間と費用を考えたら、宅急便を使う方がずっと賢い選択だ。にもかかわらず、わざわざ店主自ら出向いてくる理由は、管理人(ルビ:愛しのおひぃさま)に一目会うためでは、もちろんない。今回、わざわざやって来た理由は、食べちゃいたいくらい可愛い越後屋ファミリーの新入りCJ(通称ジュニ)を管理人と妹に見せびらかすためである。

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めっちゃくちゃ、可愛いんだぜ、ジュニ!

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カイさん、姫さんもジュニに釘付け


猫好きのデカ犬コンビが、興奮してワオワオ騒いだために、ジュニをケージから出して遊ぶことはかなわなかったが、それでもケージ越しにじゅうぶん子猫を堪能した。やっぱり子猫は可愛いぜ! 思わず

「越後屋、これいただくわ。おいくら?」

と訊きそうになってしまったのだが、むろん、可愛いジュニを越後屋が手放すわけもなく、管理人は欲しくても手に入らない子猫を指先でいじくり回すだけで我慢して思いっきりストレスを溜めたのである。

もうひとり、ストレスを溜めまくっていた方がこちら下

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「猫さん、可愛いです。ボクも猫さん欲しいです」


すでにうちには凶暴な猫が3匹も揃っている。全員に思いっきり猫パンチを食らって悲鳴を上げて逃げまどっているわりには懲りない奴である。

「こんな小さい頃から一緒にいれば、きっと猫さんと仲良くなれます」

たぶん無理。おはぎさんとは生まれたときから一緒だけど、やっぱりアンタはハギの暴力行為に日々泣かされているじゃないか。

それでも、やっぱりカイは子猫が欲しくてたまらない。一緒に遊びたくて仕方がないのだ。だから管理人や他の犬たちが飽きてその場を立ち去っても、ジュニのケージの前から一歩も動かずに、ただひたすら子猫のようすを見つめてしまうカイなのである。
ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 15:41| Comment(2) | TrackBack(0) | カイザー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする