2006年09月05日

共存

たまたまぼーっとテレビを観ているとき、「人間と野生動物が共生の出来るシステムを作りたい」と活動している人のドキュメンタリーを目にした。

軽井沢の別荘地に近年クマの被害が多発しており、クマを害獣として殺すのではなく、人間とクマの棲み分けをきちんとして、共存できる社会を作ろうという試みだった。

ほぉ〜、いいことやってんな。

これが管理人の感想である。

野生動物と、人間の共存は難しい。家畜を殺されたり、作物を荒らされたり、餌があると思えば野生動物は山を下りて人の世界に入り込んでくる。とくに自然破壊が進んで山に食べ物がなくなれば、とうぜん動物は人里に姿をあらわす。そうなると、野生動物は害獣になる。とくにクマやオオカミといった大きな種になると、直接人間を襲うこともある。そうなれば駆除もやむを得ない。

そうして100年ほど前に、ニホンオオカミは絶滅してしまった。

クマと人間を共存させるこのNPOの活動は、大きく分けてふたつある。ひとつは、じっさいクマが出たとき、その現場に急行し、クマをその場から追い払ったり、パトロールをしたり、クマに発信器をつけて、人里に近づかないよう警戒するという仕事である。もうひとつは別荘地で暮らす人々への啓蒙活動だ。クマがゴミ箱などを荒らさないよう、クマが開けられないゴミ箱を紹介したり、ゴミの捨て方を指導したり、クマに遭遇したときの対処の仕方を教えたり、クマの出没情報などを公開している。

いわば、事件が起こったときの対処と、事件を起こさないための予防措置を同時にひとつの団体が兼務している形だ。クマが人里に降りてきて、作物を荒らしたり、人を襲ったりすれば、駆除の対象となるのはやむを得ない。だから、そうなる前に未然に防ぐ、これが彼らの活動の基本理念だ。

人に正しい知識を植えつけることで、不意の事故の確率を減らす努力をしていく。それだけでも長い目で見れば、目的を達成することにつながるのだ。ただ、あまりにも地道な作業だし、すぐに成果が見えるものではないからみんながやりたがる仕事ではないのだと思う。

だが、その部分もとても大切なのだ。それがないままで、対処療法だけを続けていては、クマだってニホンオオカミの二の舞になってしまう。

たしかに、森の中でクマに会ったら恐ろしい。だが、クマは人間を餌にするために襲うわけではないのだ。たいていの動物はそうなのだが、人間に対する恐怖心ゆえに人に襲いかかってくるものなのだ。だから、クマを驚かせないよう、森に入るときは大きな足音を立てながら、できれば歌など歌いながら、「ここに人間がいるよ〜近づくと危ないんだよ〜」とクマに教えてやれば、クマから人に近づいていくることなどありえない。そういう知識を持つ人が増えていけば、人間がクマに襲われるなどの事故も減っていく。

人間誰しも知らないものは怖いのだ。たとえば、犬を飼ったことのない人が「犬は咬むもの」と思いこんでもしかたがない。犬はたしかに、人間の指など簡単にかみ砕くことのできる牙と顎を持っているが、ほとんど犬はそれを人を咬むためには使わない。犬は肉食だから、人間に襲いかかると思っている人もいるが、いまどきの犬は野生動物を殺して食べることすら思いつかない。

人間不信の犬というのは、むろん世の中にはたくさんいるが、もともとオオカミのなかでも人に慣れやすい個体が進化してできたイエイヌである。人になつく、人と巧く共存していくという本能が多かれ少なかれDNAに刻まれているものなのだ。

だから、犬は決して自分の意志で人間を咬んだりはしない。自分の身が危ないと思わないかぎり、犬は決して人に牙をむいたりはしないのだ。だから、人が犬を驚かさなければ、犬に脅威を与えなければ、犬が人を咬んだなどという事故は起こりえない。

だが、知らないがゆえに、人はむやみに動物を恐れる。怖いものだと思いこむから駆除の対象になってしまう。下手に擬人化するために、とんでもない勘違いが起こってしまう。

知らないということは、恐ろしいことなのだ。相手をきちんと知らなければ共存していくことなどは、とうていできない。

それは野生動物であっても家畜であっても一緒なのだろう。

RIMG0736.JPG

「アタシたちは、その点うまく共存してるわよねっ、ねっ、ねっ!
だって、アタシたち、仲良しですもん、ねっ、ねっ、ねっ!」

「姫さん、図々しいですよ。重いです」

ニックネーム 犬猫屋敷の管理人 at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 管理人の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする